古文書研究会

事任八幡宮資料集成について

事任八幡宮古文書調査研究会では、平成二十六年より八年に渡り、当社関連の古文書整理に取り組んで参りました。令和元年には「事任八幡宮資料目録」を発刊いたしました。更に資料の研究を進め、この度その詳細をまとめ、解説を記述した「事任八幡宮資料集成」が無事に完成致しました。調査の折には、氏子の皆様をはじめ各団体、崇敬者や地域の方々にご協力いただき、感謝申し上げます。「資料目録」と共に御覧いただきますと分かりやすい内容となっております。また、「資料集成」完成に合わせ、掛川市二の丸美術館にて初めて古文書や宝物を展示していただけた事は大きな喜びでございました。「資料目録」は一冊三千円、「資料集成」は一冊五千円、セットでお求めの場合は七千円でお分けいたします。郵送については、社務所にお問合せください。             閲覧については事任八幡宮の他、掛川市中央図書館にて可能です。「神社の資料集は、ともすれば文字資料の連続繋ぎの感を呈するものが多くみられます。神社の資料は、その神社だけの財産ではなく、多くの人たちの貴重な財産でもあり、将来に向けた地域づくりに大いに役立つものと考えております。」(「編集にあたって」より引用)「事任八幡宮資料集成」概要発行日  令和四年九月十一日編集   事任八幡宮古文書調査研究会発行   宗教法人 事任八幡宮 発行部数 三百冊 ページ数 六百ページ(「事任八幡宮資料目録」二百二十ページ)   助成金  國學院大學、神社本庁、伊豆屋伝八文化財団   配布先  掛川市中央図書館、静岡県立中央図書館、神社本庁、静岡県神社庁、大日本報徳社 他   発刊紹介メディア 静岡新聞、神社新報資料集成、資料目録より発刊時の天野先生のお言葉を次のコラムで紹介いたします。(タイトルクリックで表示を閉じることができます。)

『事任八幡宮資料集成』の編集にあたって     天野  忍   令和四年

この度、過去八年にわたる事任八幡宮古文書調査研究会の総まとめとして、『事任八幡宮資料集成』が刊行されました。令和元年九月には、『事任八幡宮資料目録』が刊行され、爾来、それをもとに調査・編集を進めてまいりました。本書の構成は、考古、古代中世、近世、近現代の四編からなっています。考古編では、神社に祀られている縄文時代の石棒や中世宝筐印塔の残欠、本宮山の山頂に残る古代磐座跡や中世山城跡、本宮山奥宮の境内で確認された古代末の経塚跡など、これらを新たに考古資料としてまとめました。文字資料のみならず、残存する考古資料をとおして、神社の歴史をより明らかにしようとするためです。古代中世編は、古墳時代から戦国末までの、神社に関わる文字資料を編年体でまとめてあります。六国史や延喜式、さまざまな紀行文、伊勢神宮御厨関係の資料など、古い文献資料はさておき、戦国時代の今川氏関係の資料などは、残念ながら一点も伝わっておりません。江戸時代の朱印高百石余を考慮すれば、少なくとも戦国期の資料はあってしかるべきですが、その写しすらもありません。おそらく、永禄末年における今川方の、反徳川の軍事行動に与したことが原因で、ある時期に徹底的に消去されてしまったのでしょうか。そのため、『静岡県史』や近隣の自治体史、あるいは研究誌などによりながら、資料を集め、編集することになりました。近世編は、神社に伝わる文字資料を中心に、他の関係資料も交えながら十のテーマを設けて編集してあります。八幡宮領の検地は、いわば八幡宮の経済基盤を確定する作業であり、文禄二年(一五九三)・慶長九年(一六○四)の検地が挙げられます。これを受けて、江戸幕府による社領の寄付や朱印状が交布され、神主たちの江戸参府が行われました。神社では、幕府との関係を重視し、その扱いに十分配慮したことが伺われます。神主家の系譜では、神主家のみならず、婚姻関係を持つ他の神主家の系譜を明らかにしました。世襲神主として、神社を守り抜こうとした努力の跡を随所に伺うことができます。寛文五年(一六六五)、神職統制の一環として、「諸社禰宜神主法度」が制定され、全国の神職は吉田家の支配を受けることとなり、神道裁許状の交布をはじめ、両者のやり取りが頻繁に行われました。これにより、江戸時代における神主の養成の流れが明らかとなりました。神主にとって、社殿の維持・管理は大切なことで、多くの寄進を得て修覆が繰り返されてきました。修覆を伝える棟札や信心者の記録、寄進された祭具や奉納額など、多くが残されています。八幡宮の由緒と祭礼は、神社の成立を伝え、祭礼がどのように行われてきたか、詳細に伝えています。神社にとって、経済・社会・文化の基盤を支えたのは、朱印地を耕作する人たちでした。彼らのくらしを把握することは、大変重要であり、地頭たる神主は、戸籍の管理や定書の遵守、年貢収取、仕来りによる神社管理など、多くに関心を払いました。その結果、その翻刻に多くの紙数を要することとなりました。神主は、学芸を奨励され、雅楽の練習や和歌の作成など、盛んに行いました。とりわけ、和歌は交流の有効な手段として機能したようで、多くの短冊が残されています。残念ながら、年次や詠者の由来のはっきりしないものが数多くあります。江戸時代の後期から盛んとなった国学は、神主や豪農たちに支えられてさらに発展し、多くの人たちが競って関係書籍を読み、書写を繰り返して勉強しました。書写の奥書を見ると、その苦労の跡が偲ばれ、印記は所有者の証のみならず、学問の流れをよく伝えています。幕末ともなると、国学は政治思想となり、やがて明治維新の原動力ともなって発展しました。慶応四年(一八六八)、維新政府による東征の動きのなかで、遠江国ではこれに呼応する報国隊が生まれ、駿河の赤心隊とも連携して江戸に向かいました。東北が平定されるや、その役を解かれ、隊員たちは国元に帰ることとなりましたが、駿河府中藩(明治二年静岡藩に改称)内の不穏な動きもあり、東京に出て招魂社々司となる者、国元に残る者とに分かれていきます。ここでは、書簡も含めて隊員たちの苦労談をまとめました。近現代編は、七つのテーマを設け、明治初年から現代までの神社の大まかな歴史の流れをとらえています。はじめに、国家の宗祀では、明治初年の国家による神社の統制・管理が主な内容です。神社の格づけ、官撰神主の配属、神社明細帳の作成、神社・神主の経費などです。いわゆる国家神道への具体的な動きが見られます。国民教化策は、教部省を中心に展開された施策で、「三条の教則」を基本に、神・仏・儒の三者が一緒になって、皇国国民を育成することにありました。しかし、三者合一の行動は難しく、修正を余儀なくされていきます。学校教育は、明治政府にとって、国民を教育する重要な施策であり。学務委員の任命を手始めに、公立小学校の設立に向けた動きが展開されました。小学校や家塾の設立、教員勤務など、具体的な動きを挙げてあります。明治の中頃になると、明治初年の遠州報国隊の実録が編集され、さらに大正時代には、顕彰の動きが展開されました。地元では、旧隊員の顕彰碑が建てられ、神道青年会による事跡編纂が行われました。明治二十七年(一八九四)の日清戦争から大東亜戦争に至るまで、神社では、県・市・町・村と連携して、戦勝祈願と平和克服の祈願が行われました。そして、平和克服を祝う祝詞が奏上されました。大正時代、明治期に教育指導を受けた人たちにより、恩師を顕彰する筆子塚が建設されました。また、学校では、子供たちに向けて、軍神を祭ることや学神祭などが挙行されたりしました。宗教法人事任八幡宮の成立では、戦後における宗教法人の成立経緯を挙げました。従来の静岡県社八幡神社は改められ、社名は事任八幡宮となって、宗教法人として現在に至りました。平成十九年(二○○七)には、遷座千二百年記念が行われています。 付編は、歴代神主の主な活動履歴を挙げてあります。神社の資料集は、ともすれば文字資料の連続繋ぎの感を呈するものが多く見られます。神社の資料は、その神社だけの財産ではなく、多くの人たちの貴重な財産でもあり、将来に向けた地域づくりに大いに役立つものと考えています。従って、編集にあたっては、読みやすく、また、親しみやすい本づくりを心掛け、以下の工夫を試みました。①資料には、できうる限りの解説を施し、さらによりよく調べていただくきっかけとしたこと。②資料の配列も、単に年代順とすることなく、テーマごとにまとめながら、その流れが読み取れるようにしたこと。③多くの人物名を取上げ、氏子・崇敬者等、多くの皆さんとの繋がりを探ろうとしたこと。④多くの皆さんに、興味・関心をもっていただくために、幅広く資料を取上げたこと。刊行にあたり、次の研究会組織を立ち上げました。顧問   誉田玲子(前宮司妻):過去の経緯やエピソード等委員長  誉田 潤(事任八幡宮宮司):委員会の総括代表委員 天野 忍(元常葉大学教育学部教授)情報入力・編集・校正委員   古山悟由(國學院大學図書館主幹)情報入力・編集・校正委員   篠谷路人(島田市博物館主任学芸員)情報入力・編集・校正委員   松本直之(神社資料調査員):渉外・編集・校正委員   鈴木亜絵美(神社資料調査員):情報処理・編集・校正委員   北田智子(事任八幡宮禰宜):会計・編集・校正委員   北田直木(事任八幡宮権禰宜):情報処理・編集・校正この他に、多くの専門家の御指導・御協力をいただきました。本書をまとめるにあたり、神社に残された資料のみでなく、関係諸機関の御協力をはじめ、地域の人たちからも貴重な情報をいただくことができました。そのお陰で刊行できましたこと、大変嬉しく思っています。

はじめに(事任八幡宮資料目録刊行にあたり)    天野  忍  令和元年

事任八幡宮の歴史は、古く原始・古代の祭祀に遡ります。この豊かな歴史と文化を明らかにし、その成果を神社が地域の拠点となって多くの人々に伝え、後世へと紡いでいく。この願いのもと、具体的な調査活動が開始されたのは、平成24年から平成25年頃のことであります。第16代神主譽田秀之は、神社振興を心掛け、その遺志を受け継いだ妻の玲子は、神社に伝わる膨大な古文書の整理と保存を、いかになすべきか、腐心しておりました。そのようななか、知人の平尾三千代の孫、松本直之の協力を得て整理に取り掛かり、牧之原市の大江八幡宮神主中村肇に相談を掛けて、平成26年4月、事任八幡宮古文書研究会を設立しました。神社職員の全面的な協力のもと、これに天野忍と鈴木亜絵美が加わることとなり、調査体制が立ち上がりました。爾来、ほぼ月1回の調査を実施することとし、ほぼ4年の歳月が経過しました。古文書の調査では、平成初年に行われた静岡県史編さん事業の成果を受け継ぎながら、改めて一点づつ資料を確認し、概要をまとめて袋詰めを行ってまいりました。平成28年度からは、宗教法人神社本庁の助成金をいただくことができました。調査にあたっては、神社の資料に適合する分類基準を設けて整理することとしました。雨洩りや虫損被害を受けた古文書も多く、注意深く開封しながら調査を実施、そのために、当初の予定をはるかに超える結果となりました。併せて主な古文書の解読作業を進めるとともに、神社に関系する古文書の所有者を訪ね、大学等の研究機関や研究者の協力を得て、書画や書籍等の調査を行うことができました。また、神社造営の棟札や石造物等の調査では、実測や拓本作成を行い、赤外線撮影を試みました。また、資料の調査・整理では、静岡県内の多くの研究機関の御世話になりました。平成30年は、明治維新150年の記念すべき年であります。そこで、幕末から現在に至るまでの資料を重点的に調査し、吉田神道や国学・国家神道等の整理を進め、『事任八幡宮資料目録』の刊行に至ったわけであります。あらためて感謝申し上げます。

令和5年2月11日(土)講和と懇話の会「建国記念の日に寄せて」(天野忍先生)

令和5年は、明治維新から151年となる。
建国記念の日にあたり、事任八幡宮に伝わる諸資料を中心に、いかに明治国家が建設され、いかに近代日本が誕生していったのか、を考える機会としたい。

レジュメと参考資料を添付します。視聴の際、参考にしてください。

令和4年11月12日(土)「事任八幡宮の歴史」(天野忍先生:掛川市立図書館会議室に於いて)

令和4年秋、掛川市二の丸美術館で開催されました展示会「事任八幡宮と日坂宿ー事任八幡宮の宝物と日坂ゆかりの人々ー」(主催:(公財)掛川市文化財団/掛川市)
のイベントとして開催されました。天野先生お話しの部分を抜粋しております。

レジュメと参考資料を添付します。視聴の際、参考にしてください。

平成30年8月4日(土)「古文書お話会」八幡宮とお祭り

事任八幡宮では、数年前より、主に社家に伝わる古文書や境内の建造物、棟札などの調査を定期的に実施しております。千点以上にのぼる資料をひもとく事で、古き時代の様子が少しずつわかってきました。そして、平成30年2月に開催のお話の会(講話と懇話の会)では「江戸時代の八幡宮」という題目で天野忍先生にお話をしていただきました。今回は第2弾として「八幡宮とお祭り」という題目でお話をしていただきました。

平成30年2月4日(日)「おはなしの会」江戸時代の八幡宮

「おはなしの会」江戸時代の八幡宮を開催いたしました。大型スクリーンを使っての説明は分かりやすく、天野先生のお話は面白く興味を誘いました。

平成29年2月5日「おはなしの会」建国記念のお話と事任八幡宮の古文書調査について

社務所にて崇敬奉賛会主催の「おはなしの会」が開催されました。建国記念のお話と事任八幡宮の古文書調査について、中村肇先生にお話いただきました。